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WW2 状態表(戦時) 1915年3月-4月 【information】 第二次世界大戦に参戦しました! 徴兵令が発動!戦力+3%、色々あって戦力+7%!(陸軍のみ) 【軍装備の開発:地雷】!戦闘時に有利! 【医療技術:防疫】&【医療技術:正露丸】&【ペニシリンの開発】!伝染病フラグが立つ確率×0.7! 【医療技術:脚気対策】!脚気フラグが立つ確率×0.4! 【諜報機関の創設】!日本側有利のロビー活動が行われます! 【陸海軍統合軍令機関の設立】!陸海軍が連携します! 【大量生産方式の確立】!補給が改善されます! 無線通信により、対ゲリラ戦術が改善します。 歩兵装備研究(北方、南方など)などにより、戦力が上昇します。 【戦況】 日本が第二次世界大戦に参戦しました。 ウクライナが第二次世界大戦に参戦しました。 モンテネグロが第二次世界大戦に参戦しました。 ルーマニアが第二次世界大戦に参戦しました。 ポルトガルが第二次世界大戦に参戦しました。 墺・独・勃・宇・黒 VS 塞・土・瑞・仏・英・波・白・日・羅・葡 です。 勃:ブルガリア、宇:ウクライナ、黒:モンテネグロ、 【軍団位置】 太平洋方面軍 海路で移動中 欧州(東方)派遣軍 海路で移動中 西部・大西洋派遣艦隊 移動中 メキシコ進駐軍 メキシコシティ他 【作戦】 ◆陸軍/空軍 ├トルコ軍と呼応してバルカンを攻撃する ├欧州への陸空軍の移動はロシアなどと協議でシベリア鉄道使えるか交渉はしてみる │無理ならすっぱり諦め海路で移動 ├マーシャル諸島の制圧まだなら軍を派遣し制圧 もう終わってるなら第七師団は地中海方面軍の予備に │メキシコ駐留軍は治安維持とサパタ政府軍の訓練 野盗沸き怖いので │シベリア駐留軍はシベリア方面の警備 一応は ├地中海方面軍はトルコに移動しつつバルカン戦線からオーストリア=ハンガリー帝国への攻撃を検討 ├西部戦線への派遣要請については「補給物資、部品の確保問題から難しい」と返答 │代替として扶桑級を第一艦隊に集中配備、地中海へ派遣する事で北大西洋においての緊急時の予備兵力とする事で説得 ├空爆部隊による重要生産拠点の爆撃 ├墺の異民族に火器等(旧式)を秘密裏に流布 ├先行偵察による戦闘時の定員を調査 ├ルール地方に爆撃を仕掛け、ドナウ川に機雷を撒く。 ├太平洋方面軍は領土・領海及びシーレーンの防衛。あまり功を焦らない。Uボート警戒重点。 │ドイツ植民地及び中国租界を解放後はインド洋に向かい、東アフリカドイツ海軍泊地を無力化。 │領海の制海権ヨーロッパへの輸送路を確保する。 │基本的に島と港湾なので艦砲射撃と揚陸艦と戦略爆撃をガンガン使う。特に艦砲射撃。 ├欧州(東方)派遣軍は陸軍はまずブルガリアとウクライナを下し、ポーランドやベラルーシなど西部戦線と合流する。 │その後ドイツに適度な圧力をかけつつトルコとともにオーストリアを脱落させる。 │空軍は水上機を利用しつつ地中海の制海権とシーレーンを維持する。Uボート警戒重点。 │塹壕に籠ったら後ろの兵站集積所や司令部を空爆。勿論制空権を確保してから。 ├西部・大西洋派遣艦隊(連合艦隊)はスエズ運河を通るため、制海権を取るまでは太平洋+地中海艦隊と合同でことに当たる。 │そこから先はスウェーデンやイギリスと合同でドイツ海軍に当たる。Uボート警戒重点。 ├メキシコ進駐軍は農地改革とかの見守り。インフラの死んでる土地に救援物資を届けたりとか。 └領土+領海防衛&温存の部隊はやたら長い領土を守備隊と連携して守りつつ、 予備戦力として不測の事態に備える。Uボート警戒重点。 雷撃機は防空部隊及び太平洋方面軍と連携し、ドイツ艦隊を見つけたら雷撃。後の空軍は温存。 ◇海軍 ├イギリス地中海艦隊と呼応して敵地中海艦隊の撃滅を狙う ├護衛艦隊は通商破壊を狙うドイツUボード艦隊を警戒する ├太平洋艦隊、インド洋艦隊、地中海艦隊で少しでもドイツの通商路攻撃被害を抑える ├基本的に日本の警備する航路は │太平洋→インド洋→紅海→(スエズ)→地中海のルート │場合によってはダーダルネス海峡を通り黒海に進出も検討 └スエズ運河を通って、オーストリアのダルマチア諸島を占領し、オーストリアとアドリア海海戦して弩級戦艦を撃沈か拿捕を目指す ◎その他 ├同盟に基づき宣戦、正当性を宣伝。 ├賄賂をばらまき協力させる。 ├文化財を戦禍から“保護”する。 ├欧州諸国の弱体化は望むところなので、同盟国と足並みを揃えつつ、慎重に行く。 ├白人系の国民をスパイとして送り込む(逆に取り込まれないよう警戒)。 ├ドイツの反政府組織を支援し煽る。 ├オーストリアで民族自決思想を程々に煽る ├独自指揮権のきちんと確保 ├国際法遵守を徹底(特に捕虜のあつかい) ├「パンと平和」をロシアより先にスローガンにして、オーストリアでの厭戦気分を煽る ├同盟国に根回しは済ませた上で、ドイツにばれないようにオーストリアと単独講和を結ぶ ├同盟によるブロック経済 ├戦争映画の放映 ├オーストリアとドイツ内でベトーベンと神聖ローマ帝国の継承者は誰かを扇動して敵対させる。 ├ルーマニア王をドイツ帝国の王に担いで、バチカンに冠を授かりドイツに動揺さそう。 ├日本の生活水準をドイツに撒き、白人で日本人より優れているがドイツ貴族に搾取されてこんな扱いを受けていると流す。 ├敵国市民に塹壕ラジオを配り、ドイツの状況を流すのとドイツ語版東京・ローズを流す。 ├ベルギーとルクセンブルク、オランダ、デンマーク、スイス、リヒテンシュタイン、ノルウェーに参戦を求める。 ├イタリア内に失われたローマを流し、対オーストリアを広める。 ├アカが調子付くから、ドイツは余り叩きたくない。イギリスまかせ │よって、主敵はオーストリア │やらかしたのは事実だから、セルビアも伸張はさせない ├もし戦争が1918まで延びたら、スペインかぜ対策に │米国の欧州派遣に対して、インフルエンザ流行しているから │「こっちくんな」を当たり障り無いような表現で言う ├補給、衛生に加え、兵の休養にも配慮する ├モンテネグロが寝返るように工作し、バルカン同盟を設立させる。 └ロシア革命が発生した際のロマノフ家救出作戦準備 1916年4月第4週 【ソフィアの戦い】【終了後】 ◆欧州(東方)派遣軍 戦闘可能:約25,000名×11+約24,500名+60部隊 戦力:15,033 死傷者:約500名 戦力:-15 統制:145% ■ブルガリア軍 戦闘可能:約15,000名 戦力:508 死傷者及び捕虜:約135,000名 戦力:-4,574 統制:7% 1916年5月第2週 【ヴァルナの戦い】【終了後】 ◆欧州(東方)派遣軍 戦闘可能:約25,000名×9+約24,500名×3+60部隊 戦力:15,003 死傷者:約1,000名 戦力:-30 統制:145% ■ブルガリア軍 戦闘可能:約10,000名 戦力:339 死傷者及び捕虜:約190,000名 戦力:-6,437 統制:3% 1916年6月第2週 【オデッサの戦い】【終了後】 ◆欧州(東方)派遣軍 戦闘可能:約25,000名×11+約24,500名+60部隊 戦力:15,033 死傷者:約500名 戦力:-15 統制:145% ■ウクライナ軍 戦闘可能:約15,000名 戦力:436 死傷者及び捕虜:約135,000名 戦力:-3,920 統制:7% 1916年10月第2週 【ドニエプル川攻勢】【終了後】 ◆欧州(東方)派遣軍 戦闘可能:約25,000名×19+約24,500名+約24,000名×15+110部隊 戦力:33,549 死傷者:約15,500名 戦力:-430 統制:143% ■ウクライナ軍 戦力:726 兵力:約500名×50 戦闘可能:約25,000名 戦力:726 死傷者及び捕虜:約975,000名 戦力:-28,314 統制:1% 1916年11月第2週 【カルパト・ウクライナの戦い】【終了後】 ◆欧州(東方)派遣軍 └◆欧州南部戦線(オーストリア攻略軍) 戦闘可能:約25,000名×22+60部隊 戦力:22,462 死傷者:約500名未満 戦力:-0 統制:145% ■オーストリア=ハンガリー軍 戦力:145 兵力:約500名×50 戦闘可能:約5,000名 戦力:145 死傷者及び捕虜:約95,000名 戦力:-2,759 統制:3% 対オーストリア講和暫定案 帝政は廃止しない。 オーストリア=ハンガリー帝国政府が存在しないことを確認する。 オーストリア=ハンガリー帝国の後継国家として、ドナウ連邦を新たに成立させる。 ドナウ連邦はオーストリア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の四国家により構成される。 ボヘミア、モラヴィアのドイツ語圏地域、ならびに下オーストリアのいくつかの都市、スロバキア、カルパティア・ルテニアは、新たに成立したチェコスロバキアに属する。 フィウーメ、トレンティーノ地方、イストリア半島はイタリア王国に属する。 下シュタイアーマルクのいくつかの地区とケルンテンのミース渓谷、クロアチア、ボスニアは、新たに成立したスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国に属する。 ガリツィアはポーランドに属する。 トランシルヴァニア、バナトの大部分、ブコヴィナはルーマニアに属する。 ハンガリー西部のいくつかの地区はブルゲンラント州の名でオーストリアに属する。 オーストリアは領有権を失った地域と、ブルガリアおよびトルコ国内、その他すべての海外における一切の権益を放棄する。 オーストリア=ハンガリー帝国の所有であり、戦時中にイタリアに占拠されたローマのヴェネツィア宮殿を正式に無償で譲渡する。 メキシコ新政府を承認する。 同盟諸国に賠償金を支払う。 オーストリアはルーマニア王をドイツ皇帝に認める事。 オーストリアは国内ドイツ資産を同盟側へ引き渡す。 日本企業によるオーストリア・ハンガリー復興支援の対価として進出を認める。 日本軍進駐と治安維持を受け入れ(期間は区切る)。 軍を一時的に規模縮小する(期間としてはドイツとの戦争終結まで)。 エジプト王国に対するイギリスの保護権を承認し、エジプトにおける治外法権を放棄する。 中国内に設置されていた天津の自国民居留地の契約は解除される。 ベルギー、ルクセンブルクの中立義務の解除を承認する。 オーストリアは自国内の少数民族を保護する。 オーストリアはドナウ川の国際河川化を承認する。 シュレースヴィヒの帰属について、ドイツとデンマークが行った決定を承認する。 締約国はフランスのモナコに対する保護条約を承認する。
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イラク戦争を題材にした仮想現代シナリオ。 あらすじ 西暦2003年3月17日 米国大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュはイラク政府に対して最後通牒を突きつけた。 フセイン大統領と息子に48時間以内の亡命要求、拒否すれば開戦を宣言すると言うのがその内容だった。 翌18日、イラクのサッダーム・フセイン・アブドゥ=ル=マジド・アッ=ティクリーティー大統領は「侵略と戦い敵を撃退する」と表明。 こうしてイラク戦争は始まった。 圧倒的な兵力を誇る米軍は作戦開始1数週間で南部地域を制圧するなど、破竹の勢いで進撃を続ける。 イラク軍の組織的な抵抗は殆ど見られず、首都バグダットの陥落とフセイン政権の崩壊は目前だった。 しかし、開戦より3ヶ月後…。 西暦2003年6月1日 「…では未だイラク軍の抵抗が続いておりイラクのジャブリ国防相は「戦況はきわめて有利になりつつある、1週間以内に米軍の補給線を再度遮断することが可能だ」と述べています。 次に…イラク北部のクルド人居住区では先月29日より散発的な…??……!たった今入ったニュースをお伝えします。 アメリカ政府は仏独露を中心とした対米同盟諸国に対し「イラク政府に対する同盟側の軍事支援に関する決定的な証拠を手に入れた」との声明を発表しました。 その中で米政府は「アメリカと自由を守る連合国全体に対する敵対行為の全貌が明らかになった、我々はフセイン政権を支援するいかなる国とも戦う用意がある」と述べ、実力行使も辞さない構えを見せました。 また、声明文の最後には7月までに明確な成果が現れない場合「報復攻撃も辞さない」との条文が含まれており… (OPより) 入手先 戦国史旧作シナリオ復興委員会 備考 シナリオデータ シナリオ名: 第二次湾岸戦争 作者: 爺滋居 現バージョン: - 最終更新: 2004年6月6日更新 動作環境: SE○ FE◎ 旧◎ 規模: 世界 開始年月: 2003年8月 大名家数: 266 城数: 1123 武将数: 811 攻略難易度表(難 S ~ F 易) S A B C D E F キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
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第二次掲示板大戦 第二次掲示板大戦(だいにじけいじばんたいせん、BBW2)は、チャットランドで行われた2010年6月下旬から同年9月上旬までの戦争である。 目次 陣営 原因 陣営 開戦当初 交戦勢力A δフォース、おおかみoo、ニュートン、姫姫 交戦勢力B すう、みっちー 中立勢力 ダース・モール 開戦当初から1ヶ月は、このような陣営だった。 開戦から1ヶ月 交戦勢力A δフォース、おおかみoo、ニュートン、姫姫、ダース・モール 交戦勢力B すう、みっちー 中立勢力 無し δフォース、おおかみooはチャットランド臨時連合を結成。 ダース・モールは銀河共和国の設立。 開戦から1ヶ月半 交戦勢力A チャットランド臨時連合、銀河共和国、ニュートン、姫姫、みっち- 交戦勢力B すう 中立勢力 無し 残りの1ヶ月半はすうvs連合の戦いが続いた。
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Template Battlebox? 第二次上海事変(だいにじしゃんはいじへん)とは、1937年(昭和12)8月13日から始まる中華民国軍の上海への攻撃とそれに続く日本軍の反撃である。 盧溝橋事件により始まった華北(北支)での散発的戦闘に続いて、これ以後華中(中支)において中国内陸部に侵攻し、中国全土に日中戦争が波及した。1932年(昭和7)1月28日に起きた上海事変に対してこう呼ぶ。 発生の背景 発生の背景には異見が色々あるので、主だった見解を2つ挙げる。見解1は、中華民国総統の蒋介石の意向を述べた日本軍上海引き付け作戦であり、見解2は、見解1を含む当時の状況を総括した見解である。 【見解1】 この戦闘の背景には、蒋介石の、万里の長城以南の中国に対する統一を守る(蒋介石は現時点では満州における領土回復は後回しと考えていた)ために、日本軍を華北から撤兵に追い込むという戦略があった。このとき既に日本は華北分離工作によって華北にその影響力を強めており、これは国共内戦を戦う蒋介石にとっては国民の支持を得続けるためにも容認できない事態であった。 この戦略の基礎となったのが1930年代における中独合作である。1934年からドイツの中国国民党への投資が続いており、ドイツ製の軍需物資が輸出され、第一次世界大戦型の要塞線「ゼークトライン(チャイニーズヒンデンブルクラインとも)」が上海の西方の非武装地帯に上海停戦協定を違反して築かれた。又、継続的に参謀も派遣され、当時ドイツからの軍事顧問として国民党で働いていたファルケンハウゼンの計画にそって、日本の侵略にたいし国民党軍は上海租界を攻撃し、日本軍を要塞線にひきつけようとした。 この作戦は、上海に駐留する日本軍を攻撃により挑発して要塞線で出血を強いる事で、日本国内の対中干渉世論を転換させる事が目的であった。第一次世界大戦で得られた軍事的経験に従えばこれはあまり冒険的でない作戦計画であり、だからこそ蒋介石も採用したと思われる。 【見解2】 前月7月7日に起きた盧溝橋での日中両軍の衝突は停戦協定で収まるかにみえたが、その後も中国各地で日本(軍)への抗日・排日・反日行為は続いた。8月17日上海地区の警備司令官である張治中が率いる政府軍が日本軍の攻撃を口実として、日本軍艦艇を攻撃した。 その結果日中両軍は全面戦争に突入してしまい、共産軍解散を目論んでいた蒋介石は方針を変えざるを得なくなった。国際世論に訴えるためにソ連と不可侵条約を結び(8月21日)、共産党と妥協して統一戦線を作って(9月22日世に言う第二次国共合作)、上海戦線に精鋭部隊を送り込まなくてはならない状況に追い込まれた。 国民政府軍の精鋭部隊は上海から南京に続く約4ヶ月の戦闘で殆ど壊滅状態になり、政府軍はその後の共産党との内戦にも敗れることになった。 大山事件発生前の上海の状況 1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に、同月28日に至り日中両軍は華北において衝突状態に入った(北支事変)。上海では1935年(昭和10年)ごろから中国人による日本人暴行・殺害事件が発生していたが、7月24日に宮崎貞夫一等水兵が行方不明となったため、上海市民は第1次上海事変を想起し、共同租界地やフランス租界地へ避難する市民まであった。 この事件は当初、中国人に拉致された事件と報道され、日本は神経を尖らせた。しかし、この事件は宮崎水兵が軍紀違反の発覚を恐れて逃亡したという真相が後に明らかになった。 大山事件 事件の発端は1937年8月9日に起こった、海軍上海特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉(海軍兵学校第60期卒業、死後海軍大尉に特進)が関係した銃撃事件である。この日も日本と中華民国の間で盧溝橋事件以来続いていた、日華間の緊張を改善させるための閣僚級会談が開かれていた。 8月9日、大山中尉は斎藤要蔵一等水兵を運転手として(彼は大山のお抱え運転手であったが)上海の虹橋飛行場に向かった。午後6時半ごろ、共同租界のエクステンション(国際的な自由通行路)であったモニュメントロード(日本側呼称「記念通り」、中国側呼称「碑坊路」)において、中国保安隊(平和維持部隊)の隊員との間で銃撃戦が起こった。 日中両国の報道 『大公報』1937年8月10日号は次のように報道している。8月9日午後5時半、日本海軍将兵2名が自動車に乗り虹橋飛行場に来て、場内に進入しようとした。飛行場の衛兵はこれを阻止しようとしたところ、日本軍側は発砲し始めた。衛兵は、日本軍とのトラブルを避けるように注意を受けていたので、これに反撃せずに退避していた。ところが、付近の保安隊が銃撃を聞きつけ出動した。これに対し、日本軍側がさらに発砲を行ったことで銃撃戦となり、保安隊員1名と日本人1名がその場で死亡し、日本人1名が重傷の後死亡した。 1937年8月11日の『東京朝日新聞』では、前日の日中合同調査(後述)を受けた海軍省からの発表を元に、中国側から銃撃を受けたこと、大山中尉は武器を所持していなかったこと、中国側に停戦協定違反があったことなどが報じられた。 事件後の動き この銃撃戦によって大山中尉、斎藤水兵および中国保安隊員1名が死亡した。この事件の報告を受け、喩上海市長は岡本上海総領事に、周珏外交部秘書は日本海軍武官本田に問い合わせをした。日本側は当初、日本軍将兵が虹橋飛行場に行くはずがないと主張した。中国側は、日本軍が事件以前から虹橋飛行場付近の偵察などを行い守備兵との衝突がおこっており、書面による抗議、再発防止を求めていたことを指摘するとともに、事態の拡大防止、事件の調査、外交交渉による解決を要請した。最終的に日本側も偵察であった事を認めTemplate 要出典?、また、要請に同意して中国側と共同調査を開始した。 8月10日に日中共同の公式調査が行われた。日本上海領事および駐在武官・上海市政府秘書長・警備部司令部副官・上海工部局局員(英国人)等が参加した。中国側の直接関係者(射撃を行った保安部隊)に関した調査は行えず、死亡した保安隊員は回収され検分出来なかった。中国側の主張は二転三転し、日本側は車体の弾痕が遠距離・近距離入り乱れていることから、保安隊が待ち伏せをし奇襲を行ったと断定した。また、大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、死体に対し頭部・腹部などに刃物・鈍器により損傷を与えたと検分された。また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品が奪われたと日本の新聞は報じた。 同日、上海のノルウェー総領事アールは、在上海各国領事に対し領事団会議を開催することを求めた。当初、日本総領事岡本は固辞したものの、再三の要請により出席することになった。この会議で日本代表が事件の詳細を発表し、中国保安隊は国際租界とフランス特権区域に接する地域から一次的に撤退すべきであると提案した。Template 要出典?英米仏伊代表は上海付近に戦禍を波及しないよう日中両国に希望することで決議をなし、上海市長へも伝達するとした。 同日、閣議で海軍側より陸軍に派兵要請を行い、4相会議で派兵が決定したが、これを受け、海軍の長谷川清中将は国際租界内の海軍司令部に対し、平静を保つように命令した。またこの日には、海軍陸戦隊には上陸命令はだされなかった。 8月11日、上海市長が日本領事に電話をかけ、「自分は無力で何もできない」と通報した。危機を感じた日本は同日夜、陸戦隊1支隊を予防のために上陸させた。 8月12日未明、中国正規軍本隊が上海まで前進、国際共同租界の日本人区域を包囲した。このため、日本領事は国際委員会を再び招集し、中国軍の撤退を要求した。しかし上海市長は中国は既に侵略をうけているとの声明を発表し、最後に兪市長は、中国軍は攻撃されない限りは攻撃しないと、中国政府として認められるのはせいぜいそれ位だと断言した。一方日本は上海近辺での中国の派兵の全ての責任は中国側にあるとした。 中国の市民は、市街への中国軍の駐留を熱狂的に歓迎した。 戦闘の開始 8月13日未明より、包囲した中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊は交戦を開始した。陸戦隊は戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定したほかTemplate 要出典?、中国軍機が低空を飛行したが陸戦隊は対空砲火を行わなかった日華事変の開戦原因内、朝日新聞8月14日付記事「13日午後0時15分から支那空軍秘蔵の単葉、双発のマーチン爆撃機は租界の上空に飛来700メートルの高度をとりつつ西方より虹口方面を示威飛翔中である。」。列強各国の調停の申し出を期待したためである。 英米仏の各領事は日中双方に申し入れを行い、上海での敵対行動を回避する為に直接交渉を行うことを勧めた。また、回避案として以下を提案した。この提案原文が東京に届いたのはこの日の深夜であった。 中国軍は国際共同租界とフランス特権区域から撤退する。 日本軍は国際租界から撤退する。 中国軍撤退地域は多国籍軍が治安維持を行う。 長谷川清海軍中将(海軍上海特別陸戦隊及び第三艦隊司令)は、当初戦争回避を考えていたが、7月からの華北での戦火拡大から考えて、中国軍すでに開戦を意図していると察した。そこで主戦論に切り替えて、5個師団の増援を日本政府に要求した。しかし政府は北支の収拾に気をとられ、1個師団の増援にとどまった。 Template 要出典範囲? 14日より日本艦艇をねらった国民党軍機による空襲が開始された。この爆撃によって周辺のフランス租界や国際共同租界にも爆弾が落ち、民間人に2000人ほどの死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明した。しかし、租界への爆撃、もしくは誤爆はその後も発生した。又、国民党系メディアが爆撃は日本軍機によるものであると報道したこともあった。 8月14日、上海租界内の帝国海軍上海陸戦隊が国民党軍の攻撃にさらされる。しかし、この攻撃は国民党軍が砲を随伴しなかった(もしくは保有しなかった)ため失敗に終わり、日本軍の反撃を招いた。重火器の欠乏から18日には国民党軍は攻撃を停止する。 8月15日、日本政府は、国民党軍が上海において日本側に対しての砲撃、さらには日本の軍艦に対しての爆撃まで行ったことから14日夜から緊急閣議を開き、それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した『東京朝日新聞』1937年8月15日付朝刊、2面。上海派遣軍が編制され、松井石根大将が司令官となる。日本海軍は、この日より九州から中国本土への航空機による空襲(いわゆる渡洋爆撃)を開始し、戦闘の激化と共に飛行機を輸入に頼る国民党軍を駆逐し、上海周辺の制空権を掌握していく。 8月18日、英政府が日中両国に対し、「日中両軍が撤退し、国際租界とその延長上の街路に居住する日本人の保護を外国当局に委ねる事に同意するならば、英政府は他の列強諸国が協力するという条件の下で責任を負う用意がある」と通告した。仏政府はこれを支持、米政府もすでに戦闘中止を要求していた。 しかし、既に本格的な戦闘に突入していた日本政府は、これを拒否。国民党政府が協定違反による開戦意思を持っている以上、日本はそれと対決する以外ないと判断し、日本は全面戦争への突入に踏み込んだ。このときまでに、各国の租界の警備兵は大幅に増強され、各地域はバリケードで封鎖して中国軍と対峙したが、中国軍も列強と戦争を行うつもりは無かったので、租界への侵入は行わなかった。日中の衝突が列強の即得利益を脅かしかねないと感じた列強各国はこの事件において中立を表明した。 8月22日、上海派遣軍の帝国陸軍3個師団が、上海北部沿岸に艦船砲撃の支援の下で、上陸に成功。 その後9月上旬には上海陸戦隊本部前面から国民党軍を駆逐。同時期に中国側は、第二次国共合作を成立させ、又、華北の日本軍の南進が開始された。 10月10日、上海派遣軍はゼークトラインに攻撃を開始、2日後には各所で突破に成功した。 10月26日に上海近郊の要衝大場(Dachang)が陥落、国民党上海攻囲軍は以後南京への全面壊走に入った。 国民党軍機による上海空爆 1937年8月14日の朝、3機の中国軍機が黄浦江にいた日本の第三艦隊の旗艦巡洋艦出雲上空を飛行し、爆弾6個を落とす。5個は川に落ち、巨大な水柱を起こし、1個の爆弾は、ジャーディン・マセソン社の倉庫に当たる。出雲ともう1隻の軍艦川内は高射砲の一斉射撃2回で援護しながら各々艦載機(九五式水上偵察機)を飛ばした。 同日午後4時、南からカーチス・ホークIIを主力とする中国軍爆撃機の中隊が飛来し、フランス租界と国際共同租界を横切って再び日本の軍艦への攻撃を開始、日本側は高射砲の射撃を続ける。10機の中国軍爆撃機が雲の内外を飛び回り、迎撃する2機の日本軍機は常に空中にいたが、射程距離に到達するには速度が遅く、目標に達するために旋回と出直しを繰り返す。 やがて1機の中国軍爆撃機から2つの爆弾がチベット通りが国際共同租界とフランス租界との境界線であるエドワード7世大通りと交差する場所に落とされる。直ちに巨大な炎が起こり、激しい爆発となり、450人の命を奪い、5人の外国人を含む850人を傷つけ、12台の自動車を破壊。さらにもう一対の爆弾がキャセイホテルとパレスホテルの間に落とされる。爆発で12人の外国人を含む数百人以上が死傷ロンドン・タイムズ紙、1937年8月16日、 1,000 DEAD IN SHANGHAI/DEVASTATION BY CHINESE BOMBS 。 およそ1,000ポンドの重さだったと見られる爆弾が半径50メートルの範囲を壊滅させた。犠牲者の大部分は、その服は完全に引き剥がされ、体はバラバラにちぎれた。遅延起爆型と思われるひとつの爆弾はその爆発力による周囲への損害は限定的ながらコンクリート、石敷、及び固めた地面の層を通して通りに幅3メートル、深さ2.4メートルのクレーターを造った。 中国軍爆撃機の攻撃は黄浦江の呉淞近くにいた英国巡洋艦カンバーランド(Cumberland)及び合衆国アジア艦隊旗艦である重巡洋艦オーガスタ(Augusta)の2隻にも向けられた。爆撃機2機の急降下はカンバーランド上空で行われたが、パイロットによる水平飛行への移行操作が早すぎ爆弾を誤った方向に向けたため攻撃は失敗。中国軍機は悪天候のため両方の艦船を日本の艦船と間違えたと判断し、どちらの艦からも発砲はなかった。 日本艦の対空砲火により中国軍機は爆撃には高すぎる場所にいることを強いられ、その爆弾を目標近くに落下させることができなかった。しかし、ひとつの爆弾は黄浦江の浦東側のアジア石油社の設備に当たり、一晩中燃え続ける火災を起こした。この日の戦闘において日本軍の艦載機と艦船の高射砲により中国軍機3機が落とされている支那事変実記 第1輯(読売新聞社、1941年)。 南京への追撃 10倍近い敵軍を壊走させた上海派遣軍は、10月20日に編制された第10軍(柳川平助中将)とともにすかさず追撃に入った。又、平行追撃と同時に敗軍の追討のために南京を攻略する構えを見せた。当初、参謀本部は和平交渉を行う為の相手政府を失う恐れから、最初南京進撃を中止するよう下令したが、のちに現地軍の方針を採用し南京攻略の独走を追認した。 ドイツの軍事顧問ファルケンハウゼンは、要塞線が突破された時点で南京から撤退すべきだと主張したが、蒋介石は南京での防衛戦にこだわったので、多くの兵力や市民が南京周辺で日本軍に包囲された。日本軍の侵攻が行われなければということが大前提ではあるが、少なくとも国崎支隊を中心とする包囲部隊が揚子江の対岸、浦口方面に進出する前に撤退を指示していれば、南京での国民党軍の損害は少なく抑えることが可能だった。 これ以後の南京付近での戦闘は南京攻略戦を参照のこと。 補足 第二次上海事変の間、両国は互いに宣戦布告を行っていない。日本は米国からの資源輸入、中華民国も米国など中立国からの軍事援助を維持するために、それぞれ宣戦布告をするわけにはいかないという皮肉な事態があった。中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。 また、国民党軍は日本軍に比べて弱体であったと思われがちだが、当時ドイツと国民党は中独合作と呼ばれる軍事協力を行っており、上海攻撃に参加した国民党軍はチェコやドイツ製の強力な機関銃などを装備していた。しかしながら補給や戦略予備の投入に関する関心は日本軍のそれよりも更に低く、各軍が連携出来ないまま突破・包囲されたと考えられる。 第一次世界大戦の軍事的常識から言えばTemplate 要出典?、市街の守備が不可能になった時点で軍は撤退し、市長が敵軍に降伏交渉を行う。占領軍も市街攻略・防御には多大な犠牲が軍民に伴うためにこれを容認するのが普通である。 第二次上海事変を描いた作品 『上海 -支那事変後方記録-』(亀井文夫監督、東宝文化映画部、1938年) - ドキュメンタリー映画 『上海陸戦隊』(熊谷久虎監督、東宝東京、1939年) 『春の河、東へ流る』(蔡楚生監督、中国、1947年) 『上海ブルース』(ツイ・ハーク監督、香港、1984年) 『上海1920 あの日みた夢のために』(レオン・ポーチ監督、香港・米国合作、1991年) 『上海の伯爵夫人』(ジェームズ・アイボリー監督、イギリス・アメリカ・ドイツ・中国合作、2005年) 脚注 _ 関連項目 Template commons? 第一次上海事変 日中戦争 盧溝橋事件 南京攻略戦 浸透戦術 通州事件 参考文献 洞富雄『南京事件』(新人物往来社、1972年4月25日) 『現代史資料(12) 日中戦争(四)』(みすず書房、1965年12月15日) 『Japan in China シナ大陸の真相 1931~1938』K・カール・カワカミ著、福井雄三訳著(展転社、2001年1月7日)ISBN 4-88656-188-8 「上海狂想曲」高崎隆治(文春新書 2006年8月20日) 外部リンク 盧溝橋事件・上海事変・南京攻略 1937年 第二次上海事変(YouTube映像資料) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月2日 (木) 22 42。
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2009年12月5日に行われた会議の事。 二次元と第二次と萌をかけてる。 参加者 also。 トム 不流咲 翔 結末 なんだそら 関連リンク 愛と感動と悲劇のロマンス~最後の夜~
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/724.html
第二次ソロモン海戦 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 最大数 兵力 大日本帝国 20000 600 0 6 13 6 32 8 第11任務部隊 5000 100 900 1 2 0 32 13 第16任務部隊 - - - - - - - - 第18任務部隊 - - - - - - - - 担当国 大日本帝国 参戦国 第11任務部隊、第16任務部隊、第18任務部隊 作戦期間 42年8月17日~9月10日 勝利条件 大勝利 15ターン以内に敵司令部を破壊する 勝利 敵司令部の破壊 追加新兵器 空軍 零式艦戦32型(生産/改良)、隼2型(進化) 陸軍 なし 海軍 なし 戦勝ボーナス 結果 経験値 訓練値 資金 大勝利 +150 +30 +6000 勝利 ? ? ? 攻略 [簡単なマップ説明] アメリカ軍キャンペーンマップ東ソロモン海戦と同じマップ。 プレイヤーはマップ北西のラバウルからスタート。 マップ中央にあるガダルカナル島のルンガ飛行場にある 第11任務部隊の司令部を目指して進撃する。 ルンガ東方には空母サラトガを中心とした機動部隊が展開している。 ラバウルとルンガの間にはソロモン諸島があり、日本軍の空港・港がある。 [攻略の手引き] まず零式艦戦21型を配置し、ソロモン諸島へ向かわせる。 第11任務部隊にはリベレーターが配備されており、2ターン目にはソロモン諸島の空港・港が 爆撃されてしまう。損害をなるべく抑えるために全力で迎撃に向かおう。 リベレーターを墜としたら艦爆や艦攻を配備して司令部と機動部隊の攻略に備える。 こちらの戦力は空母4隻(飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴)と戦艦3隻なので 艦載機の運用に困ることはないだろう。 後はルンガへ向けて進撃するのだが、米軍の増援部隊として第16任務部隊、第18任務部隊が 出現する。航空機(もしくは戦艦の艦砲射撃)を使って手早く始末しよう。 機動部隊と増援部隊を潰したらあとはゆっくりと司令部の攻略に取り掛かろう。 史実(敗北)ルートの初戦にしては戦力も充実しており配備場所も豊富、敵自体も弱めで苦戦する要素はほぼない。 このマップから零式艦戦32型と隼2型が登場する。特別な思い入れのある人は使おう。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント
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儀式魔術@Wiki・第二次黄金戦争
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第二次ソロモン海戦 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 最大数 兵力 大日本帝国 20000 600 0 6 13 6 32 8 第11任務部隊 5000 100 900 1 2 0 32 13 第16任務部隊 - - - - - - - - 第18任務部隊 - - - - - - - - 担当国 大日本帝国 参戦国 第11任務部隊、第16任務部隊、第18任務部隊 作戦期間 42年8月17日~9月10日 勝利条件 大勝利 15ターン以内に敵司令部を破壊する 勝利 敵司令部の破壊 追加新兵器 空軍 零式艦戦32型(生産/改良)、隼2型(進化) 陸軍 なし 海軍 なし 戦勝ボーナス 結果 経験値 訓練値 資金 大勝利 +150 +30 +6000 勝利 +75 +15 +3000 攻略 [簡単なマップ説明] アメリカ軍キャンペーンマップ東ソロモン海戦と同じマップ。 プレイヤーはマップ北西のラバウルからスタート。 マップ中央にあるガダルカナル島のルンガ飛行場にある 第11任務部隊の司令部を目指して進撃する。 ルンガ東方には空母サラトガを中心とした機動部隊が展開している。 ラバウルとルンガの間にはソロモン諸島があり、日本軍の空港・港がある。 [攻略の手引き] まず零式艦戦21型を配置し、ソロモン諸島へ向かわせる。 第11任務部隊にはリベレーターが配備されており、2ターン目にはソロモン諸島の空港・港が 爆撃されてしまう。損害をなるべく抑えるために全力で迎撃に向かおう。 リベレーターを墜としたら艦爆や艦攻を配備して司令部と機動部隊の攻略に備える。 こちらの戦力は空母4隻(飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴)と戦艦3隻なので 艦載機の運用に困ることはないだろう。 後はルンガへ向けて進撃するのだが、米軍の増援部隊として第16任務部隊、第18任務部隊が 出現する。航空機(もしくは戦艦の艦砲射撃)を使って手早く始末しよう。 機動部隊と増援部隊を潰したらあとはゆっくりと司令部の攻略に取り掛かろう。 史実(敗北)ルートの初戦にしては戦力も充実しており配備場所も豊富、敵自体も弱めで苦戦する要素はほぼない。 このマップから零式艦戦32型と隼2型が登場する。特別な思い入れのある人は使おう。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント インド侵攻作戦を引き分けるとかなりおかしな時系列です。4ヶ月前へタイムスリップしてるし。 -- 名無しさん (2022-08-15 00 59 58)
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なんちゃら戦争 この項目ではなんちゃら戦争について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(152年7月) System=yasaiシナリオ 第二次低地戦争(だいにじていちせんそう、英 Second Netherlands war、統一歴152年~)は、シェラルド帝国が率いるフランス連邦と、ヴァルキア王国及びこれを支援するcelto諸国との間で発生した戦争である。低地戦争(統一歴140年~)からの連続性が確認されるが、戦場は主にフランス北部や南北アメリカである。 第二次低地戦争 目次[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. 第一次低地戦争 2-2. バルニエ事変 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. リールの戦い 4-2. フランス軍の欠陥 4-3. セダンの戦い 4-4. エリック帝を捕虜に 4-5. 連合軍のパリ占領 4-6. アルベルティーヌの決起 4-7. リヨンの戦い 4-8. オルレアンの戦い 4-9. ランス奪回 4-10. パリ撤退 5. 終戦と講和 6. 影響 7. 関連項目 8. 参考文献 セダンの戦い アミアン講和会議 戦争 第二次低地戦争 年月日 2021年07月00日 - 202108月00日 場所 フランス、南北アメリカ 結果 ヴァルキアの勝利、フランスの政変 交戦勢力 ヴァルキア王国 帝政シェラルド クラフティン共和国 漢疆大公国 スティーブ・クラフタリア同盟連邦 エルドランド立憲王国 蒼星連邦国 クローネ・ドゥ・ローゼノワール王国 スィヴェールヌイ諸島共和国 ザーティエラ イットリカン民主主義国 舞羅帝国 スミトラント連合王国 神聖ラエリア帝国 シークヴァルド=アストリア聖国 指導者・指揮官 ヴァルキア君主 エリック1世 ヴァルキア将軍 アルベルティーヌ・ド・ローゼノワール クラフティン元首 ナポレオン・バルニエ・ボナパルト クラフティン将軍 漢疆大公国将軍 クラフタリア元首 エルドランド将軍 クラフタリア将軍 クローネ君主 アラスカ君主 クローネ将軍 アラスカ将軍 ザーティエラ君主 ホクレン元首 ザーティエラ将軍 ホクレン将軍 舞羅君主 イットリカン元首 舞羅将軍 イットリカン将軍 ラエリア君主 スミトラント君主 ラエリア将軍 スミトラント将軍 アストリア君主 アストリア将軍 戦力 ヴァルキア戦力 シェラルド軍3,349,800 クラフティン戦力 漢疆大公国 クラフタリア戦力 エルドランド戦力 アラスカ戦力 クローネ戦力 ホクレン戦力 ザーティエラ戦力 イットリカン戦力 舞羅戦力 スミトラント戦力 ラエリア戦力 アストリア戦力 概要 本文 画像の説明 背景 第一次低地戦争本文 画像の説明 バルニエ事変本文 画像の説明 開戦 ブリュッセル交渉の決裂本文 画像の説明 開戦後の経緯 リールの戦い本文 画像の説明 フランス軍の欠陥本文 画像の説明 セダンの戦い本文 画像の説明 エリック帝を捕虜に本文 画像の説明 フランス皇帝と皇太子死亡本文 画像の説明 連合軍のパリ占領本文 画像の説明 アルベルティーヌの決起本文 画像の説明 リヨンの戦い本文 画像の説明 オルレアンの戦い本文 画像の説明 ランス奪回本文 画像の説明 パリの戦い本文 画像の説明 パリ撤退本文 画像の説明 終戦と講和 アミアンの和約本文 画像の説明 評価 本文 画像の説明 関連項目 ● ページ名● ページ名 参考文献 ● ページ名● ページ名
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第二次野草会 2011年5月21日に酔った勢いで突発的に行われた。 今回は部室から延長コードを使用しての屋外での開催となった。 お品がき 野草各種 筍(成木)…要するに竹 今回も食材は現地調達となり、OBOGの主導で収穫が行われた。ノビルなど各種野草を取りそろえる彼らに突然、「筍とりにいこうぜ!!」という鶴の一声が。 筍を収穫する際、若干名が落とし穴に落ちるなどの事故があったが幸いにも怪我人は出なかった。 今度は俺が起きてるときにやってください。